過去のオリンピックを振り返る② 1998年長野オリンピック
皆様ご無沙汰しております。
緊急事態宣言も出されている中、いかがお過ごしでしょうか。
飛行機に乗るような旅行にまったく行けていませんので、今回もオリンピックの話を。
前回ではリレハンメルオリンピックの話題を書きました。
またまた過去の印象に残っているオリンピックを振り返ってみたいと思います。
史上もっとも北で開催された1994年リレハンメル大会の次の大会は、冬季五輪史上もっとも南に位置する長野で開催されました。どうも冬季大会の話が多くなってしまいますが、1998年長野オリンピックのお話をします。
1998年 長野冬季オリンピック
小学生時代にスピードスケートやスキーを結構本格的にやっていたので、ウインタースポーツが大好きで、冬季オリンピックが印象に残っています。
長野大会は第18回の冬季大会です。
リレハンメル大会でオリンピックの魅力にのめりこんだ私にとって、国民的行事となった長野大会が印象に残らないはずがありません。
リレハンメル大会開会式の北欧特有の幻想的な雰囲気が印象に残っていたので、長野大会開会式で出てきた相撲取りによる土俵入りなどの演出には何とも言えない気持ちになったものでした(汗) まあ日本らしいといえば日本らしいのか・・・
ブルーインパルスの飛行は素晴らしかったです。
聖火台に点火した最終ランナーは伊藤みどりでしたね。
ジャンプ:なんといってもジャンプ団体がすごかった。
前回記事に書きましたが、リレハンメル大会で日本は2位のドイツを大きくリードし、最終ジャンパーの原田雅彦が100mちょっと飛ぶことができれば(=よほどの失敗ジャンプをしなければ)優勝が決まるはずだったのですが、結果は97.5mで銀メダルに終わり、世紀の失敗ジャンプと言われてしまったんですよね。
これ、今のSNS時代だったらどんな誹謗中傷が来たんでしょう・・・東京オリンピックで問題になっていますが、当時SNSがあったらどうなっていたかと考えるとぞっとしますね。まあ、当時はそれ以外の方法で原田選手はいろいろ嫌な思いをされたとは思いますが・・・
そのリベンジを長野で見事に成し遂げ、団体で金メダルを獲得しました。これには感動してTV越しに涙を流しました。
原田は今大会ではアンカーではなかったですが、原田がここでも1本目に失敗ジャンプ(79.5m)しちゃうんですよ。原田の2本目は本当にしびれたし、アンカー船木和喜の最終ジャンプにはしびれましたね~。どんだけプレッシャーあったんだろうと考えると想像を絶するメンタルですね。
原田の2本目、137.0m すごかったな~
船木和喜の個人ラージヒル金もすごかったですが、リレハンメルからの4年間があっただけに、団体が一番印象的でした。
スピードスケート:なんといっても清水宏保です。この大会の直前によりスピードが出やすいといわれるスラップスケートが登場し、エムウエーブの高速リンクと相まって世界記録が多く出た大会で、ロケットスタートを武器とする清水が男子500メートルで金メダルを獲得したシーンに熱狂しました。
長野のオリンピック会場に行ってみた
長野オリンピックで使われた会場は今でも入場、見学できるものがあり、最近まで何度も足を運んでいます。
白馬のジャンプ競技場は現在も使用されており、リフトでスタート地点まで上ることができます。
長野市内にあるスピードスケート会場、エムウエーブは現在も使用されており、季節によって一般の方にも開放されスケートを楽しむことができます。
長野オリンピックミュージアムも併設されており、当時の映像や用具、記念品を見ることができます。
各オリンピックのTV放送テーマソング(NHK放送テーマソングが中心ですが・・・)もかなり好きです。
曲を聴くといつのオリンピックか名場面とともに思い出せます。
ちなみに長野大会のNHK放送テーマソングはF-BLOODの『SHOOTING STAR』でした。
他にも印象に残るオリンピックがありますので、次回以降テーマソングのことも含めてまた書いていこうかと思っています。